九州小京都の飫肥城下町の歴史観光と本格焼酎の試飲は?

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宮崎県日南市飫肥にある飫肥城は、大きく蛇行する酒谷川を天然の堀として、この地の小高い丘の上に築かれました。石垣と城壁に挟まれた広い門前の道を歩いて大手門から城跡に入ります。

白壁の大手門は、昭和53年に復元されたものです。NHKの朝の連続テレビ小説「わかば」のロケ地として脚光を浴びました。大手門から続く苔むしてすり減った石段は、いかにも古城の風情を感じます。かつての飫肥城は、本丸、中の城、松尾の丸などの9つの郭を配した規模でした。

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飫肥藩の歴史と伊東家って?

飫肥城主は、代々「伊東家」が治め、明治を迎えました。明治まで飫肥城の主であった伊東氏は、足利尊氏に日向の地を与えられたことから飫肥との関わりがはじまりました。

戦国時代には、薩摩の島津氏と覇権を競って戦い敗れ、豊後の大友氏に亡命しました。この大友氏も島津氏と戦って敗れました。しかし、豊臣秀吉の九州征伐に参加して、再び飫肥を領有することになります。その後は江戸時代も変わらず飫肥5万1千石の藩主として伊東氏14代続きました。

現在の飫肥城には、松尾の丸に江戸時代初期の書院造りの御殿が再現されています。また、伊東氏に関する歴史資料を展示した「飫肥城歴史資料館」があります。

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飫肥藩武家屋敷通りと小村寿太郎って?

飫肥城大手門を出たあたりは、かつては藩士たちの武家屋敷があったところです。石垣や土塀に囲まれた閑静な武家屋敷通りを散策すると当時を偲ぶことができます。また、明治になって知事となった旧藩主が住んだ「豫章館」もあります。

飫肥城後東側には、明治の外交官として有名な「小村寿太郎」の生家跡があり建物が復元されています。日露戦争後のポーツマス条約締結で日本側の全権として活躍しました。

飫肥城後北側には、飫肥藩の藩校であった「振徳堂」があります。天保二年(1831年)、飫肥藩第13代藩主「伊東祐相」により開校されたもので、小村寿太郎もここ「振徳堂」で学びました。

飫肥本町商人通りと商家資料館って?

飫肥城大手門前から南へ酒谷川にかかる前鶴橋をめざして行く途中に「本町商人通り」とも呼ばれている国道222号線と交差する周辺がかつての商人町です。

国道沿いには、白壁と格子の情緒ある家並みが続きます。通りには当時の豪商の邸宅であった蔵作りの建物を改造した「商家資料館」があります。商家資料館内には、飫肥の商人たちが使用していた商売道具や生活用具など約200点が展示されています。

本格焼酎が試飲できる日南酒造会館って?

日南酒造会館は、焼酎どころ宮崎の南部に位置する日南市、串間市、南郷町、北郷町の2市2町の蔵元13社で運営されており、それぞれの蔵元の代表的な銘柄を展示・販売をしています。試飲コーナーが併設されているので、蔵元や原料の違いによる味・香り・のど越しの違いを実感できます。

◆場所:宮崎県日南市飫肥二丁目1-10

◆開館時間
・火水金 9:00~17:00
・日土 10:00~16:00(祝祭日も同様)

◆休館日:月木

◆お問い合わせ:0987-25-1677

◆アクセス:JR飫肥駅から徒歩で10分

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